26年前の今日、人気アナウンサーの逸見政孝さんが癌で48歳の若さで死去癌公表からわずか3ヶ月半


逸見政孝
生年月日 1945年2月16日
没年月日 1993年12月25日(48歳没)
1993年9月6日、記者会見で癌を公表
1993年12月25日、死去
https://ja.wikipedia.org/wiki/逸見政孝


93年9月 逸見政孝さん ガン告白会見1


「私が今冒されている病気の名前、病名は癌です」(1:49~)
「(先生は)このままこれを放置すれば、年単位ではなくて月単位で癌細胞は蝕んでいくであろうという風におっしゃいました。
私はその言葉を、このまま放置すれば一年もたないという風に受け止めました」(5:38~)
「私は一年後に亡くなるのは本意ではありません」(6:23~)


癌って聞いたら震え上がったよな
この時代


1979年、2歳年下の実弟が胃癌の中で最も予後の悪いものである
スキルス胃癌で半年間の闘病の末、1980年3月22日に32歳の若さで死去。
このことから逸見は、人一倍癌に対して気をつけ、
年一回の検診も欠かさず受けていたが、自身も弟の死から13年後に同じ病で死去した。


がん検診意味なし


主治医がおかしくて手術して余計寿命縮めたと聞くが


同年9月6日午後3時、日本テレビ本社(現:日本テレビ放送網麹町分室)内2階の大型ホールで緊急記者会見を行い、各局のワイドショーで生中継された。
冒頭のコメントでこう述べた。
(略)
この会見で、自ら進行胃癌(スキルス胃癌)であることを、初めて公の場で告白した。
そして、これから癌闘病生活を送ることを述べた逸見は、記者から闘病に挑む心境を尋ねられ
「やはり自分にとって一番難しいことですが、仕事のことを忘れることでしょうかね。なるべくそうして闘いに行ってきます」と述べた。
会見の最後の方では、「もう一回、いいかたちで生還しましたというふうに言えればいいなと思っています……どうもありがとうございました」
と復帰に懸ける闘病への意気込みを語った。
その記者会見の翌9月7日から全ての仕事を休止。東京女子医科大学病院に入院し、本格的な闘病生活に入った。
9月16日、13時間[17]にも及ぶ大手術を受けた。
手術後は歩行訓練を行ったり、お粥などの流動食から好物のたこ焼き等の普通食を摂るなど、順調に回復している様子も見せた。
ところが、大手術から1ヶ月が経過していた同年10月23日、突然激しい腹痛を起こして食べ物を嘔吐した。
この日は一時帰宅日であったが、その後の検査結果が腸閉塞と判明したために中止となった。
これにより、普通食禁止の絶対安静となり、絶食状態を余儀なくされたため高栄養の点滴をつけられたが、逸見は徐々に衰弱していった。
その状態にも関わらず、同年11月上旬から抗癌剤の投与が開始され、副作用の影響から日頃の表情豊かであった逸見とは程遠い状態に陥った。
激しい吐き気を催して意識が朦朧となり、うわ言を発するなど益々病状は悪化していった。
同年10月に、マスコミに公表された病室での容姿よりもさらに痩せ細り、体重が50kgを下回っていた同年12月16日には、再検査で腸にも転移した癌が見つかった。
主治医は、12月1日に「ご主人の体に再びメスを入れる事はこれ以上不可能。残念な話ですが、年を越せるかは厳しい状況です」と家族に宣告していた。
12月24日、意識不明の危篤状態に陥り、翌12月25日午後0時47分、末期のスキルス胃癌・再発転移による癌性悪液質のため、
東京女子医科大学病院で息を引き取った、48歳没[18]。戒名は、誠實院温譽和顔政孝居士(じょうじついんおんよわげじょうこうこじ)。
クイズ関係の仕事が晩年に続いたためか、最期の言葉は朦朧とする意識で言った「三番が正解です」だったといわれる[19]。


豪邸建ててすぐだったから


逸見政孝氏告別式の模様


山城新伍が弔辞を読んでたんだな


癌なんかあっても元気なら死なない
変な手術したのが良くない


逸見さんの年齢越えてたわ


山城の破壊力がすごい
笑う気ないのに笑ってしまう


癌公表の時には既に詰んでたんじゃ無かったっけ?


記者会見前にかかってた医者もヤブであの時点ではもうどうしようもない状態になってた


手術した上で見落としたんだっけなんか色々


うわー48だったか俺もうすぐじゃん


俺は芸能界大好きっ子だったから
この会見のインパクト凄かった
亡くなった時も泣いたわ


戒名の字数の多さに裕福さが表れてるな
俺の親父なんて○○信士だぜ


兄弟も癌で早くに亡くなったそうだからやはり遺伝ってあるんだな


この時代のガンはイコール氏の宣告だったな


昭和45年生まれ
逸見さんの年を超えました


おめでとう


亡くなられてから
これだけ年数が経っても
残念の思いが消えんわ


4月だか5月に切った所がケロイドみたいになった時点で他の医者に見せてたらもう少しは何とかなった?


当時仙台に住んでいたが
仙台ローカルのお昼の番組にゲストとして来てたのが当時フジテレビの笠井アナだった
ローカル番組出演中に訃報を知って沈痛な表情になってたのが印象的だった
その日は休みだったらしいがすぐに東京に戻って当日の夜には逸見さんのリポートをしてた


最後の40代ナイスミドルという風貌だったよな
こののち40代はどんどんルックスが幼稚になっていく印象


最後の大手術しなかったらどれぐらい生きられたんだろうか
どうせ3ヶ月しか持たないなら普通にアナウンサー人生全うするなり家族と旅行するなり出来たよなあ


笠井や八木や大塚とか
フジテレビのアナウンサーは
病気のイメージがつきまとう


自分はこの時まだ消防だったけどそれでも存在感ハンパ無かったもんね
この会見も覚えてる
生きてたら72歳か、どんな元気な爺さんになってただろう


逸見さんは夕焼けニャンニャンに出てたから親近感がハンパなかったな


早くに亡くなられたのは
TV界にとっても大きな打撃だったろうな


笠井アナは大丈夫なの?
ステージとか大丈夫なのかな?


普通より予後の悪いタイプと判明したので1段強い化学療法やるって


三年は生きられるかな


今なら手術せずに緩和ケアで最後の余生苦しまずに済んだと言われてるな


政孝の死から約半年後に受けた1994年6月に受けた人間ドックで、初期の子宮がんを発見[2](約3年後に公表)。
子宮がんは、初期の発見で0ステージで完治したものの、その後血液細胞のがんの一種である骨髄異形成症候群を発症する。
10年ほど闘病していたが、2010年10月21日に肺胞蛋白症のため死去した[3]。61歳没。喪主は政孝と同様、息子の太郎が務めた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/逸見晴恵


嫁さんもガンで死んでたのか
これは知らなかった


最近だと江本孟紀がスキルスで手術しててもう2年半再発してない


エモやんは話盛ってる可能性あるからなあ


闇もすぐ行くと思ったのにな


就職映画で織田裕二がFテレビ希望だったのに入社させてなかったから
人が不足して40でも激務すぎた
四十って初老だから


そーいやクリスマスだったな
ふと思い立って古いVHSをDVDに焼き直してるんだけど
ちょうどさっき編集してたNG大賞88に元気な逸見さん出てたわ
もっとも他にも他界した人いっぱい出てるけど


子供の頃見てた逸見さんは随分と大人な印象だったが
今や自分がその年を遥かに超えた年齢になっているとは


たけしが事故った時逸見に顔が似てた件


おれらもなんだかんだ逸見さんの年齢に近づいたか


病床でメルシーが食べたいって言ってると奥さんが言ってるのをテレビで見てやっぱ早稲田の人だなーと思った記憶


60歳手前くらいな印象だったわ


もう26年も前か


笠井も八木ももう逸見より遥かに長生きしてる
有賀でさえも逸見より長生きだった


48歳!?ぞっとしたわ

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